「頑張れ」っていう言葉の違和感

ここんとこ、テレビだったり雑誌だったりネットだったりで「頑張って」とか「頑張れ」とか、それに類する言葉を耳にします。

震災がありましたから、主に被災者へ向けての言葉としてなわけですけど、どうもこの「頑張れ」「頑張ろう」っていう言葉に違和感を覚えています。

別に「頑張る」ことがよくないとかそういうことでもないですし、言葉を投げかける相手を応援する気持ちから発されているものだということも重々理解はしているのですが、なんだかやっぱり微妙に違和感というかなんというか。

違和感の原因としてはやっぱり言葉の意味が最も大きな理由かな、と。

「頑張る」というのは、そもそも当て字なわけですが、言葉の意味としては現在のそれとは違っていて、語源となっている「眼張る」から一定の場所から動かないという意味だったり、もうひとつの語源として言われている「我を張る」から、自分の考えを押し通す意味で使われていました。

現在は困難にめげず我慢してやりぬくこと、という意味だったりします。

まぁ、ある種で通じているところもあるものの、なんだかこのご時世に、他者に対して投げかけるには合わない言葉なのかもしれません。

というのも、 「頑張る」という言葉は、基本的に自ら発したものになります。

言葉の意味から言えば、それを自ら発する人を賞賛すべきだし、その気構えを後押ししたり支えてあげようという気になりますよね。
用法的にも自発的なものであるからこそ成り立つ部分が大きい言葉なんでしょう。

しかし、他者から発せられる「頑張れ」では、「困難にめげずに我慢してやれ」と言っていることになりますし、「頑張って」だと「困難にめげずに我慢してやってよ」と言っていることになりますよね。

これって傲慢もいいとこだよなぁと。
傲慢までいかないにしても、ちょっと他人事すぎる感じがしないでもない。

もちろん、最前に言ったように、発してる側はそういう心持ちで言っているわけじゃないことはよーく解ってます。
発した人が傲慢だとか、我関せず的だなんていうことじゃ決してありません。

しかし、約2ヶ月が経過しようとしてはいるものの、心に負った傷や精神的ショックから立ち直るには、まだまだ時間が足らない。
そんな人たちに「めげずに我慢しろ」なんていう意味の言葉を投げかけるなんて、ちょっと考えちゃいますよね。

それこそ原発問題で放射線問題に直面している人たちに「頑張って」なんて、何をどう「頑張って」もらうのか・・・。
意味からすれば、口が裂けてもそんなことは言えません。

じゃあ、どんな言葉なら? ということになるわけですけど、これがまぁしっくりくるものがない。

多分、一言的なもので言おうとするから、しっくりこないのかも。

であれば、そうした応援したい気持ちを表現するときは、一言に収斂するのではなく、きちっとその気持ちを言語化するほうがいいんじゃないかと思います。

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